20代前半フランスにいた頃は、まだまだパーティなんかで出会うトランスジェンダーが自分にとってはもの珍しく。
どんな風に暮らして、どんな風に恋をしているのかな?どんな感覚をもっているのだろう?などとあれこれ疑問を持ったものでした。
そこから年月は流れ、やがてLGBTQ+はテレビやSNSでもよく見かけるようになり、自分の周りでもカミングアウトする人がちらほら。
カナダでは、もはや存在が日常生活に溶け込んでいて、自分の中でもあの時ほど珍しい存在ではなくなっていました。
自分のどこかにある「違う」という感覚
私はミレニアル世代だし、海外生活のおかげもあって、どちらかといえば以前から性や人種に対してはフラットな方だったと思います。
LGBTQ+や人種差別のムーブメントについては、このサイトでも時々取り上げてきました。
でも実際のところ、つい最近までは本当の意味で異なる性や人種への「自分とは違うもの」という感覚は拭えていなかった気がします。
その感覚を修正しなければ、偏見はなくさなければ、と頭の中ではぐるぐるしていたのが本音。
旧友が公に性をカミングアウトした時も「それくらい、大したことじゃないよ」と反応しつつも、今思えば、頭の中ではあたふた。
突然のカミングアウトをどう当たり前の如く捉えるか、自分のリアクションは正しいか?などと、とても平常心ではありませんでした。
「左利きくらいの感覚」
しかしある時、それを一掃したのがどこかで目にした「性や人種の違いなんて、左利きか右利きか位の感覚なんだよ」というひと言。
(どこで見たかは忘れてしまった…)
自分が左利きなこともあってか、その感覚はすっと自分の中に入ってきました。
その瞬間、今までの性や人種に対する、異質なものを見る先入観のようなものがさ〜っと溶けて消えたような感じ。
確かに左利きって、右利きで作られた世界の中で日常的に不便をすることもあるし、違和感を覚えられることもあるのですが、ほとんどの人は「だから何?」という感覚。
異質、異質でないと言う判断もしないくらい普通のことですよね。
性も人種も、それと同じ。
変に擁護したり啓発したりしなくてもいいし、騒がなくてもいい。もはやそれをしようとも思わないくらいに、その違いは当たり前のこと。
そう思ってからは、あれこれ変に考えることがなくなりました。
ひとつひとつ確かめる
実際これまで出会った海外の友人達も、LGBTQ+の友人達も、深く付き合えば付き合うほどに「人間ってみんな同じだな」と面白くなるくらい、同じ感覚をもっていて。
みんな人種も国籍も性も違えば、自分とは異なる場所で、様々な生い立ち、環境、文化の中で、全く違う人生を歩んできたにもかかわらず、人として持っている常識や感覚はどこか似ている。
だからこそ違うもの同士、仲良くなれるし、分かり合える。
こんなにも異なる人間同士がこんなにも共通点があるのかと、だんだん愛くるしく感じてくる時さえあります。
まとめ
「性や人種の違いは左利きと同じ」という、どこで出会ったかも思い出せないくらい、何気ないひと言。
でも、私の中の性や人種の違いに対する感覚を大きく変えるきっかけとなりました。
やはり人は自分ごとになって考えた時に初めて、本当の意味で物事の本質を理解するものなのかもしれません。
これから先、ここで取り上げるLGBTQ+や人種のトピックも色々と変わるかも、と楽しみなような不安なような不思議な気持ちですが、どこか軽く視界が開けた気もして心地よい自分がいます。